孫幼軍さんからの最近のメール

特集◎児童文学のショートショート

孫幼軍さんからの最近のメール
——近況、そして四歳のときに来日したことなど

孫 幼軍(ソン ヨウチュン)作 石田 稔•訳

(一)

孫幼軍-妻朱景珍と自宅にて(1998年7月31日)私は、この六月に満七六歳(!)になりました。今は、人生での七十七番目の年を過ごしています。まったく恐ろしいかぎりです。
年からすれば、私の体はまあまあです。あなたと連絡をとることなく過ごしていたこの四、五年に(貴任は私にあります。あなたは、欠かさずに賀状をくれましたが、私はずぼらで、一度も返事を出しませんでした。どうかお許しください)、私は二度入院しました。
最初は三年前でした。朝、目が覚めると左半身が麻ひしていたので、病院へ行ってCTを撮りました。医者は、軽度の脳溢血と診断し、すぐに私を入院させました。今も左足に少し麻ひが残っていますが、幸いなことにほかは自由に動かすことができます。その入院時の検査で糖尿病と診断されました。ただ、さほど重くなく、錠剤の薬を飲むだけでだいたいコントロ—ルできました。インシュリンを打たなくてもいいと医者にいわれました。(ついでながら、私の母は、糖尿病のために亡くなりました。二番目の弟、孫幼忱《石田注。著名な童話作家》は、 糖尿病が私より重く、この六月に心不全のために世を去りました。幼忱は、私より四歳年下でした。)孫幼軍-闘病中
私の二度目の入院は、今年の三月です。胃からの大出血のため、すぐに入院しました。私には心臓病の持病がありますが、胃はこれまでなんの問題もなく、どうしたことかとあわてました。幸いなことに、胃カメラの検査で、多発性の潰瘍がきゅうに炎症を起こして出血したのだとわかりました。こうして九日間入院し、よくなつて退院しました。
あなたがこの前北京に来て拙宅に泊まられたとき、妻の朱景珍は、二度目の乳腺のガンに見舞われて不在でしたが、幸いなこどに病魔の手から逃れることができ、今はどうにか元気で暮らしています。息子の孫迎は、南京大学の作家養成科を卒業後、二一世紀出版社の北京事務所で編集の仕事をしています。娘の孫小倩は、アメリカに定住しています。

(二)

孫幼軍-母と東京のアパートにて(1937年4月13日)私の父は、ハルピンの鉄道局に勤めていましたが、一九三七年に日本の鉄道学院に研修に行きました。父は、妻と息子が懐かしくなつたのでしよう、 桜の盛りに母と四歲の私を日本に呼び寄せ、一緒に東京へ桜見物に行きました。
私たち一家は、一九四八年に長春で飢餓状態を体験しました。父は、一家を率いて必死でそこを脱出したのち、心臟病のため突如として世を去りました。まだ三十九歳の若さでした。孫幼軍-小金井で花見(1937年4月13日)
母も、亡くなってからだいぶたちます。生前母は、 日本滞在中の出来事、大阪や京都や名古屋などを見物したときのようす、東京の父のアパートに泊まつたときのことなどよく語ってくれました。
「あなたは、簡単な日本語ができるようになつてね。頼むと、ちょこちょこ階下へ降りていって、網袋に入った小さなスイカを買ってきてくれたものよ」—四歳の私は、ちょっと買い物に行くくらいの日本語は話せるようになったのでしょう。孫幼軍-母と(1937年4月13日)
父は、芸術写真の愛好家でした。父の撮った写真は、当時の日本のもっとも有名な写真雑誌の最優秀賞に選ばれました。そこには、日本の農村の少女が写っていました。少女は、手のひらをかざして、離陸しようとしている民航機を眺めていました。その雑誌は長いことわが家に保存されていました。その情景は、今でも脳裏に焼きついています。私の最初の日本訪問の写真は、どれも父が撮ってくれました。一家三人の記念写真は、父がセルフタイマーで撮ってくれました。父が亡くなったとき、私は中学に入学したばかりでした。一家は貧しくて食べることもろくにできず、最優秀賞の賞品であったドイツ製の高級カメラをも売り払わざるをえませんでした。孫幼軍-東京の遊園地にて(1937年4月13日)
「文革」中、母は日本へ行ったことがあるというので、工場の「牛小屋」に入れられました。「日本のスパイ」という罪名でした。疑いをかけられないように、たくさんの写真を焼き払いました。しかし、一部の写真を、とくにネガを、私はこっそり隠しておきました。のちのことになりますが、私は、パソコンで残された写真を複製しました。
とはいえ、中学から大学にかけては、私には一人の「カメラマン」もいませんでした。おまけに私は文無しでした。ですから、この時期、私一人だけの写真はほとんどありません。
最初に母につれられて日本を紡問したときの写真四枚を、メールに添付します。どうずごらんください。 (二〇〇九年八月三日付け)

(これは、会員の石田稔が、北京の童話作家、旧友、孫幼軍さんから今夏に受け取った、写真入りのメールの抜粋です。幼軍さんの許可をえて発表します。)

孫幼軍(一九三三年—一九六〇年北京大学中文系を卒業。翌年中国少年児童出版社から中篇童話『小布頭奇遇记』を出版、第二回全国少年児童文芸創作コンクールで一等賞を受賞。以後、数多くの賞を受賞。

(「虹の図書室」通巻26号2009年掲載)